37 民間信仰石塔(八成) 【信仰】(井草2丁目24番地6号)

 

ページ番号1090571  更新日 令和6年7月11日 印刷 

堂内の石塔は、寛保元年(1741年)銘の庚申塔と寛政5年(1793年)銘の念仏供養塔です。これらは、この辺りが武州多摩郡下井草村字八成(はちなり)といわれた頃、地域の講に所属する人々によって建立されたものといわれています。
庚申信仰とは、体内の三尸(さんし)の虫が、その人の罪を天帝に告げるのを防ぐため、徹夜をするという中国の道教説に由来します。日本に伝わってからは、中世以降に仏教や神道の信仰と習合し、庶民の間に広まりました。江戸時代には本尊を青面金剛(しょうめんこんごう)とし、不見(みざる)、不聞(きかざる)、不言(いわざる)の三猿が彫られる事が多くなり、ここに見られるような庚申塔の建立が盛んになりました。また、青面金剛のほか、神道の猿田彦命が彫られる事もありました。
念仏信仰は「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀仏を信じれば浄土に導かれるという信仰で、念仏供養塔も各所に多く建立されています。
庚申塔側面には「右 たなか道」「左 志やくじ道」、念仏供養塔側面には「右 新高野へのミち」「左 石神井への道」と彫られており、近隣の田中村、石神井村、中野村などへの道しるべの役割も果たしていたことが分かります。なお、堂外正面にも道標を刻んだ石碑があります。
八成地域は中野~阿佐ヶ谷~石神井~保谷~所沢を結ぶ所沢道筋にあたり、この場所は所沢道と府内十七番札所長命寺(現・練馬区) への巡礼道の交差路で、往来の人も多く、近くには茶屋もありました。

 

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