112 本仏寺 【寺院】(梅里1丁目1番12号)

 

ページ番号1007869  更新日 平成28年1月18日 印刷 

当寺は、案楽山と号する日蓮宗の寺院です。本尊は十界勧請の大曼荼羅と釈尊像および仏使の四菩薩像です。また、江戸時代作の日蓮上人像が安置されています。
寛永8年(1631)に江戸の谷中三崎(現台東区谷中)に創建され、修行院日通上人により開山されました。
元禄2年(1689)に寺院消失後、翌3年に本所出村(現墨田区太平)に寺地を拝領して移転し、同11年には身延山久遠寺の末寺となりました。享保20年(1735)に第8世日現上人は津軽家の帰依をも受けて鬼子母神堂を創建し、第13世日盛上人(後の身延山第52世)は天明の大火(1784)で類焼した諸堂を復興し、寛政3年(1791)には鬼子母神堂を再建しました。
当寺に安置されている鬼子母神像は、子授け・開運鬼子母神といわれ、関東三鬼子母神の一つとして参詣や縁日で賑わい、江戸庶民の信仰を集めました。
縁起によると、この鬼子母神像は、延宝5年(1677)4月8日、本所小網町の三股川から出現した霊像で、由来は、下谷池之端に住む横田七郎右衛門という熱心な法華信者が男女5人の子をもうけましたが次々と失ったため、子授け・子育てを雑司ヶ谷鬼子母神に祈願したところ、満願の日に舅が鬼子母神像を持ってくる夢を見ました。また、舅の木村伊左衛門は若夫婦のために三股川で水垢離を取っていたとき、髪の毛にこの像がかかったので、所願成就のしるしと喜び娘夫婦の所へ持参しました。それからまもなくして横田氏の妻は丈夫な男子を生んだということです。横田氏は、この霊像を在家に安置することは恐れがあるとして当寺に奉納し、それからこの像は、水中出現の子授け・開運鬼子母神と崇められるようになったということです。
大正12年に関東大震災で堂宇を罹災し、現在地には昭和17年に移転してきました。

昭和63年3月

 

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