127 地蔵堂 【信仰】(下井草3丁目5番9号)

 

ページ番号1007944  更新日 平成28年1月18日 印刷 

この地蔵堂は、正徳3年(1713)6月に観泉寺(今川2-16-1)持として、旧下井草村字向井草の現在に創立されました。
別称・平等軒ともいわれ、本尊は地蔵菩薩です。
『新編武蔵風土記稿』に「見捨地五畝 小名井草前ニアリ 四間二三間ノ堂ニテ南向 本尊木ノ立像ニテ長一尺七寸 遅野井村観泉寺持」と、この地蔵堂の記述があります。
天保5年(1834)2月には、すでに、観泉寺が下井草村の年寄田中惣兵衛にこの堂の管理をまかせていました。その後、天保12年(1841)に間口5間・奥行3間の堂を焼失してしまいました。翌天保13年(1842)9月、田中惣兵衛が村民の代表者となって、鳥見役にその再建を願い出たという記録が残されています。
明冶初年には、観泉寺廃室となり、慈照という尼僧が住むようになりました。その当時は、境内は90坪の年貢地でしたが、明治10年代初めには、境内は130坪となり、信徒も31人を数えるにいたりました。
その後、観泉寺から独立し、現在の境内は3坪、堂宇は2間四方となりました。地元有志約30人で結ばれた地蔵講中が今もあり、毎年11月24日に夜、堂前左右に行燈を立て、燈明を献じ、般若心経を唱和した後、酒食を共にするならわしが続いています。
なお、堂前、左側の石造物は、宝暦8年(1758)8月建立の地蔵菩薩を刻した石橋供養塔で、右側の2基は、江戸時代の石塔です。

平成2年3月

 

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