78 宗泰院 【寺院】(高円寺南2丁目31番5号)

 

ページ番号1007927  更新日 令和6年8月16日 印刷 

当寺は山号を永昌山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は木造釈迦如来坐像です。寺伝によれば、嘯山春虎(しょうざんしゅんこ)和尚が天正12年(1584年)、麹町表四番町(現・千代田区四番町)に草庵を結んだのが始まりといわれています。開山は小田原万松院(ばんしょういん)の格峰泰逸(かくほうたいいつ)和尚で、文禄2年(1593年)に、寺地を拝領し、堂塔を整えました。
その後、元和2年(1616年)に至り、寺地が旗本の屋敷地と定められたため、市ヶ谷左内坂町(現・新宿区市谷左内町)に境内地を拝領して移転、寺院の取り締まりにあたる市谷組寺院触頭(市谷組の寺院を統括する)を命ぜられています。
当寺の檀家は旗本・御家人・尾張藩士などの武家350家とその出入商人などで、本堂・開山堂・客殿をはじめ、武家檀家参詣のための供待ち部屋・槍小屋・馬小屋など16棟の堂宇(建物)を有する旗本寺として隆盛を誇ったといわれています。
明治維新の変動により当寺も一時、寺勢が衰えましたが、明治20年代には復興しました。明治42年(1909年)、陸軍士官学校の校地拡張のために寺地を買収され、現在地へ移転しました。
宝暦7年(1757年)建立の本堂、寛延3年(1750年)建立の開山堂は、そのまま移築したもので、江戸中期建造の開運弁天堂(尾張藩主の持仏堂といわれる)とともに区内有数の古い建造物です。
なお、当寺に安置されている、乳房を小児にふくませた木造地蔵菩薩坐像「子授け地蔵尊」は杉並区登録有形文化財です。このほか、明治の俳人である原月舟の句碑、鈴木派無念流の始祖で幕末の名剣士の鈴木大学重明や相撲年寄の松ヶ根・東関の墓などがあります。

 

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