3 観泉寺 【寺院】(今川2丁目16番1号)

 

ページ番号1007866  更新日 令和6年5月20日 印刷 

当寺は、宝珠山観泉寺という曹洞宗の寺院です。本尊は木造釈迦如来坐像で、戦国時代の名門今川氏ゆかりの寺として広く知られています。寺伝によれば、慶長2年(1597年)、鉄叟雄鷟(てつそうゆうさく)大和尚によって、今の下井草二丁目付近に開祖され、観音寺と称しました。
正保2年(1645年)、今川氏13代直房は、将軍家光の命をうけて京に上り、東照大権現の宮号宣下の使者を務めました。その功により井草村など三ヶ村500石の加増を受けました。それを機に当寺を菩提寺とし、現在地に移して寺名を観泉寺と改めました。信仰厚く伽藍建立に寄与した姉(観泉寺殿簾室慶公大姉)を中興とし、万昌院(現中野区)から祖父氏真(うじざね)の墓所を当寺に改葬、勧請開基しました。
ここに眠る開基の今川氏真は、今川氏が敗れた永禄3年(1560年)5月19日の「桶狭間の戦」で父義元を失い、家督を継ぎますが、領国であった駿河は北条氏・武田氏が、遠江は松平元康(徳川家康)が支配することになりました。
今川氏没落後の氏真は、北条氏や松平氏の下に身を寄せ、文化人として多くの和歌を詠んでいます。徳川幕府が成立したのち、今川氏は幕府高家として召し抱えられ存続しました。

 

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