96 文殊院 【寺院】(和泉4丁目18番17号)

 

ページ番号1007864  更新日 令和6年5月20日 印刷 

当寺は、遍照山高野寺(へんじょうざんこうやじ)文殊院と号する高野山真言宗の寺院です。
寺伝では、開山は高野山興山寺の木喰応其上人(もくじきおうごしょうにん)とされていますが、「文政寺社書上」には、興山寺2世勢誉(せいよ)が、慶長5年(1600年)に徳川家康の帰依を受けて駿府に寺地を拝領し、興山寺と称して開創したとあります。
徳川氏の江戸開府に及び、寛永4年(1627年)に興山寺3世応昌(おうしょう)が、江戸浅草に寺地を賜り、駿府城北之丸の建物を拝領して移築しました。その際、寺号を高野寺文殊院と改めました。
その後、元禄9年(1696年)に麻布白金台町(現・港区白金台)へ移りました。その当時の様子は「江戸名所図会(ずえ)」巻之三に「白金 高野寺」として描かれています。そして、大正9年(1920年)に区画整理のため現在地に移転しました。
江戸期の当寺は、高野山行人方(ぎょうにんがた)(寺院の俗務に従事した人々)の在番所触頭(ふれがしら)(行人方を統括する役目を担う)として真言宗では重要なお寺でした。また、宝暦年間(1751年~1764年)に御府内八十八ヶ所(大師信仰)打留の札所となりました。境内には、この大師信仰を示す八十八ヶ寺大師石像や「お砂踏の石」があります。
本尊の木造弘法大師坐像は、室町時代の作といわれ、「難産の女人を救い給う安産守護のご本尊」として信仰され、多くの女性が安産祈願に参詣しました。本像は、肖像彫刻として優れ、文殊院の歴史を知る上でも貴重なことから、平成14年(2002年)に杉並区有形文化財に登録されました。
文化財としては、他に弁財天像・付近出土の板碑・百度石などがあります。

 

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