114 西照寺 【寺院】(高円寺南2丁目29番3号)

 

ページ番号1007924  更新日 平成28年1月18日 印刷 

当寺は普明山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦如来坐像です。寺伝によれば、日比谷村(現千代田区内幸町)の漁夫により海中から拾いあげられた阿弥陀如来像が安置された御堂を、天正2年(1574)に、開山明堂文龍大和尚が一寺としたのが開創とされています。
その後、徳川家康の江戸入府による江戸城大築営のため、寺域は武家屋敷地となり、慶長17年(1612)芝金杉(現港区芝1丁目)に移転しました。しかし、寛永20年(1643)類焼に遭い、寺地は御用地となり、拝領した代替地は狭くて本堂の再建も不可能なため、寛文5年(1665)に芝白金台町(現港区白金2丁目)の地を買収して移転し、寺を再興しました。
この再興に力を尽くしたのが、中興開基でもある旗本の岡田豊前守善政で、以来当寺は代々岡田家の菩提所となっています。この後、当寺は観音堂・鐘楼堂等の堂宇も整え、江戸西方三十三観音の第26番札所ともなり、門前には町屋が並び大いに賑わったと伝えられます。
明治維新の折に、当寺は討幕派の放火によって伽藍を全焼しましたが、明治10年(1877)頃には復興を果たしています。再建された堂舎には、当時、明治女学校の講師であった島崎藤村が寄宿していたといわれています。
永く御府内にあった当寺も、東京発展のなかで寺域が区画整理の対象となり、明治44年(1911)に現在の地へ移転しました。
なお、当寺には室町末期の阿弥陀如来坐像、承応2年(1653)銘の“とろけ地蔵”、南町奉行山村良旺や書家佐瀬得所の墓、江戸期建築の格式を持つ道了堂、心越禅師による山門額字の書幅など、多くの文化財が所蔵されています。

平成26年2月

 

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