128 旧円光寺歴住墓碑・供養塔 【信仰】(松庵3丁目10番3号)

 

ページ番号1007957  更新日 平成28年1月18日 印刷 

ここに建てられている墓碑5基は、明治初年までこの付近にあった天台宗寺院、杉仙山(『新編武蔵風土記稿』は「天照山」)円光寺の歴代住職の墓です。
墓碑には、元禄9年(1696)、享保8年(1723)、元文3年(1738)、宝暦10年(1760)、文化4年(1807)の没年銘がみられます。また中央の五輪塔は、戦後、地元の人々が歴代住職の霊を慰め、手厚く供養する目的で、この墓地を整備した際に建てた供養塔です。
円光寺の開山、開基などは詳らかではありませんが、『新編武蔵風土記稿』には、本尊、客殿に関する記述がみられます。寺は、明治初年に廃寺となりましたが、歴代住職の墓は現在地に残されました。また、本堂は慈宏寺(宮前3丁目)の本堂(昭和46年まで存在)として移築されました。本尊の馬頭観音もまた同寺に移され、現在は写経堂に安置されています。
円光寺には、「江戸紫染め」にまつわる次のような伝承があります。
元禄・宝永(1688~1710)のころ、松庵新田の豪農であった仙蔵(のち杉田屋仙蔵)は、京都知積院の僧、円光の指導を受け、苦労の末に「江戸紫染め」を完成させたといわれます。仙蔵没後、その子が「江戸紫染め」を広め、大変栄えたということです。
円光寺は、この仙蔵が円光に感謝し建立したとも、また円光が仙蔵の菩提を弔い、仙蔵が生前大切にしていた馬頭観音を本尊として建立したものともいわれています。

平成26年2月

 

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