等正寺 【寺院】(本天沼3丁目41番7号)

 

ページ番号1008002  更新日 令和6年12月9日 印刷 

当寺は応供山と号する浄土真宗本願寺派の寺院で、本尊は江戸初期の作といわれる木造阿弥陀如来立像です。
「御府内備考続編(ごふないびこうぞくへん)」および寺伝によれば、元和(げんな)8年(1622年)、江戸湯島(現・文京区本郷一丁目)に開創されました。
開山は不退院玄証で、足利義満の家臣であった浅野民部大輔永慶の9代の末裔(まつえい)と伝えられています。
元禄16年(1703年)、類焼に遭い、ついで翌17年(1704年)2月には寺地が御用地となったため、同年3月同所興安寺の隣(現・文京区本郷二丁目)に寺地を拝領して移転しました。
創建当初は東本願寺に属しましたが、宝暦9年(1759年)、8世敬胆律師の代に西本願寺に帰山しました。現在の本尊はこの時に本山から下附されたものです。天保11年(1840年)、再度の火災によって、それまでの記録類や宝物などの大半を失いました。
大正12年(1923年)の関東大震災で罹災、その後本郷地区の区画整理のため、昭和4年(1929年)に井荻町中瀬(現・清水三丁目23番)へ移り、同16年(1941年)4月、現在地に再移転しました。現在の本堂は、昭和46年(1971年)の建立です。
墓地には、狂歌師三陀羅法師(文化11年(1814年)没)、3代目都々逸(どどいつ)坊扇歌(明治13年(1880年)没)の墓碑があります。

 

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